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2012年新春初稽古
24節季の小寒にあたる新春初稽古の日は、寒晴れで気分もぴりりと引き締まり、楊家養心太極拳の120名近い同心の皆様が心を合わせて初舞いをしました。
このあと改修に入るという東京武道館の道場の松の木の床に、田村師範の音頭による新春の手締めの手拍子の音、そして新年ハオの元気な挨拶の声が響き、八段錦から初稽古が始まりました。今年の楊名時先生のお写真は、国立劇場の舞台で着物に着袴姿で太極拳白鶴の舞いを舞っておられる姿で、稽古を見守ってくださいました。
楊麻紗先生のご講話は、楊名時太極拳の真髄についてのお話でした。
楊名時先生の太極拳は競技ではなく健康法であり、長い年月続けることにより美しさの域に達するものであり、やがて芸術の域まで昇華させようとするものであったこと、また祈りの舞いであって、その舞いを続けていくうちに自分の心が浄化していくものであり、浄化していくと、自ずと美が生まれるとおっしゃっていたそうです。
丹頂の白鶴は一羽が声を上げて舞い上がると、群全体が飛び立って実に美しいものであるというお話もありました。
養心会の歩みに連れて、今年はこれまでの年より白い道着で臨まれた方が多かったので楊麻紗先生ともに舞う太極拳24式の稽古は、楊名時先生の表現された太極拳の精神を受け継いでいくことを目標とする同心の皆様の心がひとつになった白い鶴たちの群舞のように見えました。
この場に集ったいろいろな教室のかたがたが、太極拳歴の長短に係わらず皆が一緒に稽古をすることで交流し合って、お互いの気が通い合い伝わって行くことにより、ひとりひとりの太極拳の成長に繋がることを改めて感じることができました。
大きな自然災害に見舞われた昨年の言葉に“絆”が選ばれたのは、普段は感じなかった人と人との繋がりを強く意識されたゆえでしょう。
同心一人一人が、養心会がどういうものかを自覚したとき、ひとつの同じ健康法を目指している友同士の深い繋がりが自然とでてきて、それが養心会太極拳の本当の意味での深い絆になりましょう。
楊名時先生に感謝しながら、同心一同、今年一年も “白鶴の舞い”の名前の由来と意味を深く心に思いながら、太極拳に精進しようと誓い合いました。
(牧野智子記)


麻紗先生の句が俳句誌に掲載
楊麻紗先生の俳句が、角川書店の月刊誌「俳句」12月号の俳人スポットライトに掲載されましたので、ご紹介します。法要に帰郷した折に詠まれたもので、雪国の風景を捉えた作品です。
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雪 浄 土
雪雲や波の荒立つ日本海
冬帽子越後の駅に降りてより
雪晴を賜る母の忌日かな
梁太き家をふるはせ雪起し
雪吊の縄に夜通し風鳴りて
雪浄土雪の底より水の音
今もなほ雪が嫌いで雪が好き


第5回常滑合宿交流大会
去る11月12日(土)13日(日)、愛知県常滑市のサザンアリーナ体育館で「2011年楊家養心太極拳常滑合宿交流大会」が開催されました。
例年好天に恵まれるのですが、今年はこの上もない晴天となり、関東・関西及び愛知県内の同学加え、遠方の鹿児島・熊本からも参加して下さいました。総勢200名を超える参加者で、会場は熱気に包まれました。
楊麻紗先生のご指導による全体稽古・模範演舞・グループ毎の演舞、そして52名に及ぶ大審査が行われました。
午後1時から始まった交流会は、4時半に終わり、充実した内容と同時に、癒しの気を強く感じました。
夜の懇親会は芸達者が揃い、楽しさが爆発。3時間が瞬く間に過ぎてしまいました。
翌朝も無風の好天。近くの海浜公園で行われた早朝稽古は、100名の同学が集まりました。天の気・地の気・海の気を浴びながらの稽古は、まさに醍醐味です。感謝!感謝!
(養心会 事務局)

師範審査レポートより(6)
久しぶりに師範審査レポートをご紹介いたします。今回の方は、東京都在住で、少林寺拳法をなさっていたそうです。テーマは「太極拳をやって良かった」ことです。皆様の参考にしていただきたいと思います。
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興味があった禅と武道を「動く禅」として共に体感でき、他のスポーツでは感じられない心地良さを感じられることがよかった。この心地良さはゆっくりとした動きだからこそ感じられるもので、バランスをとりながら調和を図ることによって感じられる内なる充実感と、お仲間から発せられる温かい外の気が相まって、穏やかな気に包まれるために感じられるのではないかと思う。陰陽虚実を意識すると、意志をもって行動していると思っていたことも、実はそうであることが自然だからそのように動かされていたように感じられ、今後の生き方も焦らず、自然に任せ、川の流れのように逆らわずに、その時できることをただひたすらにやっていけばよいのだと思えたことが、太極拳をやってよかったこである。心も体も解き放たれるのがとても良いと思う。
(H.K.さん 50歳 女性)


なにわ友の会
第6回健康太極拳交流会
爽やかな秋晴れの10月9日(日)大阪旭区民センター大ホールにて、楊家養心太極拳・師家楊麻紗先生をお迎えして200余名が参集し、「第6回健康太極拳なにわ友の会交流大会」が開催されました。飯森節子会長の挨拶で始まり午前中は、各大阪の教室が和やかに太極拳を舞いました。
午後の部。なにわ友の会・最高顧問茶木康晴先生による23分34秒の演舞には息を止めて見入ってしまいました。続いて師家楊麻紗先生のご指導による全員の八段錦、24式太極拳。大ホールが柔らかい空気に包まれ「気」を感じた太極拳となりました。講義・ワンポイントレッスンは「動きは止まる所がない。終わる頃には次の動きが始まっている」。このことを心して稽古をしようと思いました。そして師範審査。
東京・名古屋(常滑、大口町)・奈良の先生方の演舞。皆様との交流を深め、とても充実した一日となりました。最後は笑顔の記念撮影、4時30分閉会となりました。大阪の夜景がとても素晴らしい26階の懇親会会場に65名が参加し、和気藹々のなか話が尽きず大声で万歳三唱で閉会致しました。養心会のますますの発展を願っております。
万谷 頼子

2011年長岡研修会
去る5月31日、長岡・林三重教室の「楊名時先生の太極拳を学ぶ会」が、楊麻紗先生をお迎えして開かれました。今年で三回目ですが、皆さんは熱心に勉強され、阿賀野市の加藤博子教室からも参加されました。その時の感想文が届きましたので、ご紹介します。
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なんとなくやっていた八段錦ですが、今回の講習会で太極拳につながっていることが分かりました。
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今回は呼吸のしかたを教えていただき、大変勉強になりました。
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麻紗先生の美しい動きに、ただただ見とれていました。
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中国語の発音は難しい。呼吸法や手足の細かい動きなど改めて勉強になりました。
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今年も又学ぶ会が開催され、麻紗先生の手の指先から足の爪先まで意識の行き届く模範演舞に感動しました。
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先生の腰の動きや手足の動きを見ていると、私どもよりずっと運動量が多いことに気が付きました。
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弓歩で体重の7:3の配分ですが、体感でわからないので、写真を見て形を真似ていました。でも今回、先生のお姿を見て納得しました。
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阿賀野から6名の方が参加して下さって会が充実したような気がします。連帯感を感じました。
等々です。皆さんの着眼の良さに感心しました。
養心会事務局

三峡下り
7月の末から8月の初めにかけて、8日間の長江三峡下りを中心にした旅に出かけてまいりました。
最初の3泊4日が三峡を下る船旅、残る4日が長江沿いの詩蹟を訪ねる旅です。
「暑」
中国では、重慶、武漢、南京を3大竈と呼んでいるようですが、訪れた重慶、武漢は聞きしに勝る暑さでした。
連日の42~3度の気温に加え、長江から立ち上る大量の湿気のため、船から一歩出かけるとたちまちのうちに全身汗だらけ、体の大きな西洋人などは汗をポタポタ落としながら歩いており、地元の人々は半ズボンにサンダル履きでシャツをたくし上げてお腹をだしている始末です。
「大」
それにしても長江は大きい。
李白が「孤帆の遠影 碧空に藎き 唯見る長江の 天際に流るるを」と詩っているのは決して大げさではないことが解りました。
また、三峡ダムに至っては、宜昌で上流600kmに亘って長江の水を堰き止め、それまでの水位66mを172mまで嵩上げし、沿岸の住民150万人を移住させたというのですから、これまた半端な話ではありません。
その昔、李白や杜甫が仰ぎ見ていた山城の白帝城は、今では、山の麓が水に浸かり島の上のお城になってしまっておりますのに、加えてこの計画の最終目標は水位175mまで上げることだというのですから驚きです。(ただし、この最終目標は土壌崩壊の危険と、さらに2百万人を超える住民の移転を要するため実行に移せないでいるようですが・・・・・)
「太極拳」
船旅の間は、毎朝、ホールで中国人の先生が太極拳を教えており、青い目の男女と日本のご婦人方が見よう見まねで楽しんでおりました。
また、嬉しいことに、旅の最終地、上海の書店で、竹内彰一先生とご親交を結ばれていらっしゃる崔仲三先生の著書「楊式太極拳体用図解」を見つけ買い求めることができました。
「詩蹟」
三峡下りの後は、白楽天、白行簡、元慎が遊んだ三游洞、陶淵明の所縁の地、廬山の花径等を訪れ、詩の世界に浸ってまいりました。
脳裏に焼き付いた長江のうねりと共に、今後の詩読の味わいを深めてくれるものと存じております。
木村鎮夫


写真提供:榊原敬三さん
楊名時先生七回忌法要
去る7月2日、上野精養軒に於いて、河野太通老大師、帯津良一先生、窪倉陽子様、鵜沼宏樹先生をお迎えして、「楊名時先生七回忌法要」が営まれました。緑溢れる上野公園内にある会場からは、不忍池が見渡され、蓮の花が咲き始め七回忌法要にピッタリの時季でした。全国から160名の仲間が集まって下さり、楊名時先生をお偲びしました。
河野太通老大師、多津龍凪禅師の朗々たる読経の中、楊名時先生への献花から始まった法要は、厳かさと和やかさが融合した会となりました。
西洋料理の草分けでもある上野精養軒のフランス料理も大変美味しく、“精を養う”味付けでした。出席の皆様から、「本当に素晴らしい会でした」と口々におっしゃって頂きました。
祭壇上の楊名時先生の笑顔と会場の皆様の笑顔が一体となり、穏やかで明るい気が満ちていました。「よかった!よかった!ありがとう!」と、楊名時先生のお声が聞こえてくるようでした。
皆様に心から感謝いたします。
楊 麻紗
写真提供: 牧野智子さん

祝 埼玉県教育長賞
志木教室で太極拳を稽古されている吉野テルさんが、埼玉歌人会第103回短歌大会において、「埼玉県教育長賞」を受賞しました。おめでとうございました。受賞作は
会う度に小さくなり行く老い父が
背筋伸ばせと我に言ひたり
です。この短歌が生まれた背景について、吉野テルさんが書いてくださいましたので、ご紹介いたします。
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老人ホームに、入所している97歳の気丈な父は、古稀を迎え背が丸くなっていく私に会う度、背筋を伸ばせと、口ぐせのように言うのです。何歳になっても子を思う親の細やかな情愛に感謝し、自然に前掲のような短歌が生まれました。
嬉しさに浸っている矢先に、父はB型インフルエンザに感染し高熱で入院、肺炎を併発し生死の境を、さ迷う日が三日程続きました。運よく乗り越えたものの、私を忘れてしまい見舞いに行っても、「あなたどなた」と聞く始末。大きな声で耳元で話しかけても、表情のない父に悲しさがこみあげてきてしまいました。
肺炎が癒えても、入院中はとうとう父の記憶の回路は戻らないまま、施設に戻ることになりました。施設に戻って来ると、無表情だった父がだんだん笑顔を取り戻し、四日目に私が自分の鼻をさして「誰かわかる」と聞くと、にこにこしながら「テルだろう」と言ったのです。思わずもう一度言ってと聞き返してしまいました。うれしくて、父の手をぎゅっと握りしめた。
その日から父はおぼつかない足取りながら、手押し車を使ったり、自分の足だけで歩いたり、広い施設の廊下を行きつ戻りつしながら、リハビリに励んでいます。
人間関係が希薄になっている昨今、ほのぼのとした親子の絆を感じ、選ぶ側を和ませてくれた作品、との選評をいただきました。
吉野 テル


撮影 榊原敬三さん
肥薩友好会第一回研修大会
先月の3日、鹿児島県出水市に於いて、「肥薩友好会第一回研修大会」が開かれました。当日は初めての大会を寿ぐかのような五月晴れで、私(楊麻紗)、茶木康晴先生、杉江満寿夫先生を含め9名が県外からお祝いに駆けつけ、地元の仲間80余名と共に研修・親睦をはかり盛会でした。
この大会が開かれるまで、大変な困難がありました。その困難を「楊名時先生の心の太極拳を学ぶ」という、皆さんの強い意志で乗り越えることができたのです。最初は30名ぐらいしか参加者がいないのではないかと主催者は考えていたそうですが、予想に反し大勢の方が集まりました。そのことに、主催者をはじめ私も感無量でした。
川俣義人会長を中心に行った合同演舞は、全員の喜びの気が溢れ出ていました。20名の昇段審査も見事でした。また、80歳以上の6名の方々に特別表彰状が手渡され、大変喜ばれました。
そして今大会講演のテーマは、「太極拳の心」でした。楊名時先生との出会いから最後の看取りまでを語り、楊名時先生の理想とした太極拳を、切々と話しましたので、参加者は深い感動を受けたようです。皆さんから「良かった!良かった!」の声を聞きました。
場所を変えての夜の懇親会は、楽しさが弾けっぱなし。地元のかたのプロ顔負けの芸とパワーに圧倒されました。
鹿児島に養心会の新しい道が拓けました。おめでとう!
6月19日 楊 麻紗


大口町桜まつり
去る4月3日、愛知県大口町で「金助桜まつり」が開かれ、地元の長谷川房子先生一門が準備万端整えて、大成功を収めました。参加者は、東京、大阪、常滑、地元の大口町を合わせ、170人近くにのぼりました。
この「金助桜まつり」は大口町の主催でしたので、行政の関係者も出席されて養心会の参加を大変喜ばれておりました。当日は好天に恵まれ、満開に近い桜のもとで太極拳を舞うことができました。
各地域ごとに分かれての皆さんの演舞を拝見し、楊名時先生の理想とする「自己出張をしない場との一体感」が強く表れており、嬉しくなりました。
祝いの懇親会は、国宝・犬山城の真下の犬山ホテルで行われました。ホテルの桜満開、仲間の笑顔も満開です。ホテルの料理に舌鼓を打ち、大正琴に酔い、ゲームに興じながら親睦が深まっていきました。
4月3日は、奇しくも楊名時先生の月命日でした。楊名時先生に感謝!皆様に感謝!
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花の下気息の通ふ太極拳
楊 麻紗
* 榊原敬三さん撮影


第4回常滑合宿交流大会
「2010年楊家養心太極拳常滑合宿交流大会」が、11月6日(土)愛知県常滑市のサザンアリーナ体育館で開かれました。今年は常滑市の教育委員会の後援を得て行われ、見学者を含めて200人の参加者があり盛況となりました。
当日は小春日和に恵まれ、午後1時から始まり5時の閉会まで、風もなく暖かい一日だったことが、何よりも幸いでした。例年通り、全体稽古、私の模範演舞の後昇段審査を挟んで、5つのグループに分かれての演舞披露が行われました。
今回私が特に感じたことは、どのグループも確実にレベルアップしていることです。型が整っているだけでなく、気功法としての楊名時先生の教えの太極拳の本質を捉えていることです。とても嬉しく思いました。「気は見えずして働きあるのみ」と言われておりますが、その気の作用を掴み太極拳の中に具現されていました。200人の参加者一人ひとりの出す気が、大きなパワーとなって会場に溢れていました。楊名時先生ご存命中、500人以上の太極拳の演舞を何度も見ておりますが、このような気のパワーを感じたことはありませんでした。
夜の懇親会は、常滑ならではの弾け方です。歌あり手作りのお芝居ありで、地元の方々の底抜けの明るさと人情の深さに、嬉し涙がこぼれる程でした。今年も楽しいときに現れるという精霊が、写真に写っていたそうです。
翌日の海浜公園での早朝稽古も、穏やかな天気で少しも寒くありませんでした。波の音を聞きながら清清しい稽古ができ、自然の気を十分に取り入れることができました。
常滑合宿交流大会を準備してくださった杉江満寿夫・潤子先生はじめ地元の方々、そして参加してくださった皆様に感謝とお礼を申し上げます。
楊 麻紗

旅順・203高地
「坂之上の雲」の舞台を訪ねる旅
司馬遷には遼か及ばないがとの謙虚なペンネームをつけた司馬遼太郎が、近代日本史幕開けの躍動を描き出した小説「坂之上の雲」の舞台を訪ね、旅順・大連から瀋陽・長春と旧満州の地を9月の末に旅して参りました。
(旅順・大連)
温暖で風光明媚な旅順・大連の港は、ロシアが東方への出口として欲しがった天然の良港である事や湾口が極端に括れており、廣瀬中佐が艦を沈めて閉塞を試みた作戦も宣なるかなと思いました一方、東鶏冠山や203高地に残されたロシア軍の要塞と無数の弾痕を見ると、乃木大将が行なった肉弾戦が如何に無謀な作戦であったかの思いが強く、改めて18、000人もの若者の御霊に祈りをささげて参りました。
(満 州)
満州の広大な平野に延々と拡がる玉蜀黍・高粱の畑には圧倒されましたが、訪れた時点で最低気温2度、真冬にはマイナス30~40度に下がると聞きますと、貧弱な防寒服で闘った当時の兵隊さんや後の満蒙開拓団の人々のご苦労が偲ばれました。また、満州の地には所謂愛国教育と称し日清・日露戦争から満州事変・太平洋戦争終了に至るまでの文物を恣意的に展示した建物が随所に存在し、先生に引率された小学生や一般市民が多数見学に訪れておりましたが、街で接する人々には反日感情というようなものは全く感じられませんでした。
古来、中国人は上(統治者)の交代や政治の変化には、我関せずで、太極拳の動きのように悠然と過ごして来たようですが、逞しい人々ですね。
2010年10月
木村鎮夫
大連・大和ホテル


南禅寺の百日紅(さるすべり)
花は百日、紅に咲き続けることは無い
今日は、楊名時先生がよく話された中国の名言を、皆さんにご紹介したいと思います。
花 無 百 日 紅 人 無 千 日 好
意味は、一つの花が3か月真っ赤に咲き続ける事はありません。人は3年も何事もなく、全て順調でいられることはありません。人も自然も花も変化するのが常であるため、その変化の幅を少なくするには、太極拳の稽古を続けることや、旅行などの趣味を生かした気分転換をすることが大切です。
楊 麻紗


なにわ友の会
第5回健康太極拳交流会
戦国の世、織田信長と渡り合った商人の自治自衛都市「堺」に並ぶ環濠集落、大阪「平野」の地で9月12日(日)、なにわ友の会主催の「第5回健康太極拳交流会」が開かれ、約200名の同学の仲間が集まりました。
季節外れの猛暑の続くなか、東京から師家・楊麻紗先生をお招きし、6名のお仲間のご参加をいただきました。また名古屋からは杉江満寿夫師範のお仲間、奈良の中村二可師範のお仲間と、他府県からも多数のご参加をいただきました。
午前中は、各教室の舞台演舞に続き茶木康晴師範による悠悠とした模範演舞があり、車椅子でも出来るケアヘルスタイチ(太極拳12式)の演舞がありました。
午後は楊麻紗先生指導による全員の演舞で始まり、ご講演では「初心者は呼吸を気にせず、気持ち良く、ゆったりと動きましょう。」と楊名時太極拳の要諦を教わりました。また、ワンポイントレッスンでは、「高探馬」のポイントと八段錦の要諦を教わり、呼吸法はこれら八段錦の練習のなかで覚える事を学びました。麻紗先生の観音様のような温かいお人柄に、参加者全員が大きな感動を覚えました。そして当日は、師家の審査により2名の新師範が誕生しました。
夜は「天満橋」に会場を移し、50余名の参加で懇親会が開かれ、天神祭で有名な夜景を楽しみながら、おおいに飲みおおいに語りました。猛暑に負けぬぐらい皆が熱く燃えた充実した一日でした。
謝謝
鈴木 俊夫

師範審査レポートより(5)
スーパー残暑も少し和らぎ、東京では虫の声が聞こえるようになりました。9月21日(日)、大阪のなにわ友の会「第5回健康太極拳交流大会」に於いて、師範審査を行いました。そのお二人のレポートをご紹介いたします。テーマは「太極拳をやって良かった」ことです。
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私は、40代から体調をくずし、現在も薬を欠かしたことがありません。それでも、太極拳を続けて13年目になりました。たくさんの人と友達になり、太極拳を止められなくなっています。生かされていることの喜びを感じていることもあり、人を信じること、愛すること、認め合うこと、そして健康であり、何か人の為に少しでも出来ることを、お役に立ちたいと思っています。そしてそれが、喜びとなれば最高です。ただひたすら舞いたいです。
(N.M.さん 60歳 女性)
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「不怕慢 只怕站」のことばを教えていただいたことです。おかげで、ゆっくりゆっくり、途中休憩しながらも、生涯続けていけるもの、身につけさせていただいています。
(S.F.さん 63歳 女性)


猛暑の中に秋の気配
9月に入ったというのに、相変わらずの猛暑が続いております。皆様、お元気ですか?
私は夏には強いのですが、今年の残暑は記録的な暑さでいささかうんざりしております。こんな猛暑の中に、秋の気配を見つけました。絹雲です!
絹雲は別名巻雲とも言われ、上層5km~12kmに現れる雲で、小さな氷の粒からできています。刷毛ではいたような薄く白い雲で、秋によく現れます。私はこの絹雲が秋の訪れの使者に思えて、東京の空を眺めながらいつ現れるのか心待ちにしておりました。その絹雲が、今朝、自宅マンションの窓を開けた途端に、目の前に広がっているではありませんか、私は小躍りしてベランダに出て、携帯のカメラに収めました。
この涼しげな雲、皆様には何に見えますでしょうか?私には鳥の羽根に見えます。ただの鳥ではなく瑞鳥の鳳です。そこで、絹雲を「羽衣の雲」と自己流に呼んでいます。今日は絹雲に秋の気配を感じながら、気分よく太極拳の指導に向かいました。
猛暑はまだしばらく続くそうです。太極拳の程よい動きで、この猛暑を乗り切ってください。
楊 麻紗

倶会一処(くえいっしょ)
楊名時先生は、2005年7月3日に亡くなられました。高尾山の山間の公園墓地に、楊名時先生は眠っておられます。墓名には楊名時先生自筆の「夢」の一字が彫られ、山裾の竹林を正面に西向きに建っています。
私たち家族は、毎月お墓参りに行くのですが、いつも不思議なことが起こります。それはお墓に向かうと、見たことのない蝶や鳥が飛んできて、すぐ近くの木に止まって、私たちが去る頃にはいなくなってしまうのです。また、鳥がお墓の真上を三度も輪をかいて飛び去ったり、頭上を美しい声で鳴きながら過ぎ去ったり。春の鶯、晩夏の蜩などは、特に美しい鳴き声で墓参りを喜んでくれているように思えます。
“霊は飛ぶものに姿を変えてくる”と聞いたことがあります。本当なのかどうか分かりませんが、私はこの言葉を信じ、蝶や鳥たちは楊名時先生の化身なのだ、と思っていつも楽しみにお墓参りに行きます。旧盆の8月15日もお墓参りしました。
また、最近の墓石には思い思いの字が彫られています。心、和、寂、神は愛なり。変わったものでは、星に願いを、といった具合です。これらの墓石の字の中で一番多かったのは、「倶会一処」です。この言葉は阿弥陀経が出典ですが、あの世でまた一緒に会いましょうという意味です。
私は、あの世でまた楊名時先生にお会いし、仲間と共に太極拳を稽古したいと思っています。そのために、生ある限り楊名時太極拳をしっかり伝えてゆこうと思うのです。
楊 麻紗


暑中見舞状が届きました
会員のNさんよりすてきなお見舞状を頂きましたので、ご紹介いたします。今年は記録尽くめの猛暑が続いております。食事と睡眠を十分にとり、太極拳の稽古でこの夏を元気にお過ごしください。
楊 麻紗


元気な89歳
菅クラさんは、レディ―ス大塚教室の最高齢で89歳です。「おはようございます」朝来ると、それぞれの同学に挨拶をしてまわります。人生経験豊かな楽しいお話で元気でパワーいっぱいです。毎週水曜日に北区の浮間船戸から、埼京線、丸の内線と乗り継いで新大塚まで、1時間かけてお教室に来ます。12年のキャリアで味のある太極拳です。
この教室は生徒数23名で、7名の方が80才以上です。皆さんお休みも少なく教室に来るのを楽しみにしていますが、身体のどこかに痛みを抱えて、今の健康を維持、増進するために元気で楽しんで太極拳を行なっています。気の合ったとても流れの良い太極拳で、私の誇りとするお教室です。
菅さんも来年は「卒寿」、来年になると3名の方が80才の仲間に入ります。太極拳によって“健康”と、すばらしい“仲間”に恵まれ、とても良い“和”が出来ました。身体をゆっくり動かし、健康を保持し、心の安定を図り、日々心豊かに過ごせることを目指した太極拳を続けて欲しいものです。
菅さんはみんなの目標です。いつまでもお元気で「白寿」をめざして頑張って下さる事を応援し、また願っております。
野田 久子


耳鳴りと耳閉感が薄らぐ
太極拳との出会いは、忘れもしない8年前の5月の事であった。
或るシンガーソングライターの「耳鳴りで作曲活動が出来ず悩んでいた時に、勧められた太極拳。そして、稽古をしていくうちに次第に耳鳴りと付き合えるようになり、7年ぶりに作曲活動が再開できるようになった」との喜びのテレビ映像であった。
丁度、耳鳴りに大変苦しんでいた私にとっては、全く思いがけない朗報。番組が終わるや否や、早速テレビ局など数箇所に電話を入れた結果、健康法・養生法の太極拳は楊名時太極拳である事を知る。たまたま、太極拳に通っていた友人に問い合わせると、楊名時太極拳という事が分かり、小躍りして喜んだのを鮮明に覚えている。
その頃の私は「キーン」という金属音のような耳鳴りが、日夜続いている上に、耳閉感が強く睡眠不足に苛まれていた。食欲もなく疲労困憊の毎日。「電車で稽古に通うのは無理では?」と家族も心配する程であった。辛さから逃れたい一心で、私は太極拳の指導を受ける事を決意し入会。
麻紗先生をはじめ助手の先生方が皆優しく接して下さり、少々の疲労はあったものの休む事なく通い続けられた。8日目頃からは厚い蓋をしたような不快な耳閉感が、不思議に薄らいでいくのを実感した。期待以上の早い効果に、私は驚きと嬉しさでいっぱいになり、天にも昇る心地で、今も稽古に励んでいる。
耳鳴りはまだ続いているが、時には心地よいリズムとさえ思う様になった。一病も二病も抱えている70歳近い私。だからこそ、師の教えの「心を動かし、気を動かし、体を動かす」を深く刻み、太極拳を通して心と技を磨くべく努めている。
縁あってご指導頂いている楊麻紗先生やお仲間達との輪を大切に、これからも太極拳を楽しみながら稽古を重ね、長寿へとつなげたいと願う私である。
吉野 テル

夏鶯
梅雨のうっとうしい日が続いていますので、気分を少し明るくするために夏の鶯について書いてみようと思います。
私は、新宿高層ビル群を一望できるマンションの5階に住んでいます。幹線道路に面した建物ですが、氷川神社の敷地内にあるため、緑も多く春になると鶯の美しい声を聞くことができます。10年前、初めて鶯を聞いた時は、「まさかこんな都心で?」と信じられませんでしたが、その声は神社の小藪から聞こえ、一週間ほど鳴き続きました。
以来、私は鶯の来訪を心待ちにするようになったのです。所が、今年はその鶯が来ませんでした。道路の舗装工事か又は天候不順のためなのか、その理由を考えたり仕事でバタバタしている間に、季節は春をと通り越して、夏になってしまいました。
鶯は「春告鳥」の別名が示すように、春の到来を感じさせる鳥ですが、2月初め頃山で鳴くのは「笹鳴き」、平地に下りて美声で鳴き始めるのは3月頃と言われます。そして、また山に戻り夏に鳴くのが、「夏鶯」や「老鶯」と呼ばれます。
楊名時先生のお墓は高尾山系の麓にあり、私たち家族は毎月の墓参りを欠かしたことがありません。6月の墓参は好天に恵まれ、夏鶯がしきりに鳴いていました。今年自宅で鶯の声を聞くことができなかっただけに、その感動はひとしおです。身も心も洗われました。
楊 麻紗


2010楊名時先生を偲ぶ太極拳交流大会
6月12日の「楊名時先生を偲ぶ太極拳交流大会」には、鵜沼宏樹先生をお迎えして大勢の同学が集いました。今年は、楊名時先生が亡くなられて5年であり、また先生が日本に初めて太極拳を普及させてから50年という節目の年にあたります。
楊名時先生が帯津三敬病院に入院中、鍼灸と気功治療をして下さったのが鵜沼先生です。鵜沼先生によると、楊名時先生のゆっくりとした語り口、そして間のとり方、悠々と廊下を歩く姿、小帯津先生と杯を酌み交わしている時の間も、全てがゆったりとしていて太極拳であると感じたとのことです。
また、楊名時先生の偉大な功績は、「甩手を含めた太極拳を健康法・養生法として全国区で広められたこと。もう一つは、八段錦と体極拳の組み合わせの妙であり、また全体のパッケージとしての質の高さにある」と述べられました。
そして、参加者全員が納得したことは、鵜沼先生の「太極拳は下手でも効く」という一言です。この言葉は鵜沼先生が帯津病院に10年勤務し、気功教室で太極拳を稽古する患者さんの姿を見て確信したそうです。この鵜沼先生の医療現場の言葉は、大変説得力がありました。お話の後、太極拳の演舞をして下さり喝采を浴びました。
「本日は晴天なり」の楊名時先生のお言葉どおり好天に恵まれた太極拳交流大会は盛会に終わりました。皆様に心からお礼を申し上げます。
謝謝。
事務局


河野太通妙心寺管長就任式
去る5月29日(土)、河野太通ご老師の臨済宗妙心寺派第33代管長の晋山式(就任式)が、京都花園にある大本山妙心寺で挙行されました。この日は見事な五月晴れで、七堂伽藍と多くの塔頭が立ち並ぶ広大な境内には、ことのほか清浄な気が漲っておりました。
太通ご老師は朝8時に勅使門から本山にお入りになり、山門、仏殿、開山堂、玉鳳院へとそれぞれに就任の挨拶のお経を唱えるために、参進されました。私たちは参道脇で太通ご老師の九條衣姿を拝見しました。この儀式は2時間ほどかかりました。
そして10時30分から、法堂に各派管長、招待者、信者1300名が参集し、晋山上堂式が厳かに挙行され、12時に終了いたしました。
太極拳のご縁で伝統と格式のある管長就任式に出席することができ、大変光栄に思いました。心からの祝意とお喜びを申し上げます。
楊 麻紗


2010年草加八段錦・太極拳研修会
去る5月13日、120名を越える太極拳の同学が、草加八段錦・太極拳研修会に集いました。この研修会は、草加、八潮、庄和の三つの支部から成ります。今年で4回目となるこの会は、いつも快晴。草加のスカッと晴れた気候は、実に爽やかな心地よいエネルギーを私達に注ぎ、会場へと運んでくれます。
司会の佐久間登師範のかけ声で会が始まり、磯部タカ師範のご挨拶に続いて、楊麻紗先生からは、「長野の佐久から、心は、小川睦子先生もいらっしゃっているはずです」とのお言葉がありました。
全体で前半の八段錦と太極拳24式を行いました。「前半の八段錦では動き、心、意識の三つを働かせ、特に意識を大事にすることが求められます」と麻紗先生の説明が入りました。
恒例となりました楊麻紗先生、ディミトリーさん、楊砂織の家族三人による太極拳の舞を披露させていただきました。「まさにゆったりとした大河の流れのような太極拳」と表現された司会の方。続いて二組に分れて演舞が行われました。どちらも気が満ちていて、見応えのある舞いでした。
麻紗先生による講義では、太極拳における虚実の重要性について理論と実践を合わせて、丁寧に解説して頂きました。「虚実が解れば太極拳に滑らかさがでてくる。虚実は太極拳の命である」という言葉で締め括られました。
後半の太極拳24式は、各々が虚実を意識したことで動きに滑らかさが出て、
さらには会場全体に流れが生まれ、一期一会の素晴らしい太極拳を味わうことが出来ました。最後に眞壁美沙子師範にご挨拶いただき閉会となりました。
多くの方々のご協力により今年も実りある研修会となりました。心から感謝いたします。
楊砂織記


知っていますか?御衣黄桜
東京は新緑となり5月の光に美しく映えていますが、みちのく辺りでは、今が桜の見頃ではないでしょうか。
去る4月15日、私は埼玉の志木教室の仲間と珍しい桜を見に行きました。それが「御衣黄桜=ギョイコウザクラ」です。この日は花冷えを通り越して、真冬のような寒さの上に雨も降っていたのですが、2週続けて教室が休みになるため出かけたのです。
志木駅からバスで20分足らずの所に、跡見学園女子大学新座キャンパスがあります。このキャンパスには原種の桜や栽培品種の珍しい桜がたくさん植栽されていて、現在その数は200本近いそうです。
桜の時期だけ一般公開される構内に入った途端、皆で感嘆の声を上げてしまいました。優美な枝垂桜、華やかな里桜、気品あふれる山桜などなど、雨に濡れていっそう風情を増していました。
順路の終わり近くに、お目当ての御衣黄桜がありました。緑色の八重咲きで、名前は天皇が召される「御衣」の色からつけられたそうです。まだ3分咲きでしたが、珍種であるだけでなく、品のある桜でした。来年は皆様もお出かけになってみてはいかかでしょうか。
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キャンパスは桜の園となりにけり
雨を来て御衣黄桜見定めし
楊 麻紗


4月3日(土) コミュニティアリーナ八千代 花見
3年目の恒例になってきた花見を紹介します。この日は前日の嵐のような天気から一変して、朝から大変天気が良くて絶好の花見日和となりました。
全員出席の太極拳も早々に終えて成田に向かいました。注文してあった弁当を持って、みんなどことなくうきうきしているように見えました。途中デミトリーさんも合流して麻紗先生以下12人になりました。成田山公園は成田神宮の反対側になるので、結構歩きます。でも途中、うなぎ屋さんや漬物屋さん、お土産屋さんなど色々なお店が目を楽しませてくれるので成田さんまであっという間でした。
さて、初めて足を踏み入れる公園は本当に年代を感じますし、重厚感いっぱいでした。入り口は梅の木がたくさんあるのですが、幹にはタップリと苔が生えていましたし雑草も生えているのもありました。やがて広場のようなところに出たので弁当になりました。桜はほぼ満開で気分は最高でした。食事を終えてさらに進んでいくと、池のほとりに桜があって水面に映り綺麗でした。また絶好の撮影ポイントで単鞭(ダンビエン)とかのポーズで写真をとりました。桜の根元が空いていたのでまたシートを広げて休憩しました。色んな雑談をしてあっという間に楽しい時間がすぎ去りました。最後は帰り道、今川焼きを店先で買って食べて美味しかったです。本当に気分最高の一日でした。

コミュニティーアリーナ八千代教室
小林 弘幸


3月定例指導者研修会
2010年3月28日、文京シビックセンター・スカイホールに於いて、指導者研修会が開かれました。今回は昨年好評だった前田篤宏先生(NPO法人日本介護予防太極拳協会理事長)を鹿児島からお迎えし、「座位式太極拳12式」を通して、養生運動と体の仕組みについて講義していただきました。
楊家養心太極拳 事務局


技芸天と「単鞭」
唐招提寺参拝、そして奉納演舞の後、東京組は楊麻紗先生と共に秋篠寺へ参りました。かねてより、楊名時先生がお慕い申し上げていたという技芸天にお会いするためです。
その天女は国宝の小ぶりな御堂の中で、右手を胸のあたりまで上げ、ほんの少し腰をひねられて伏目がちで大らかなお顔でお立ちになっておられました。太極拳の「雲手」から「単鞭」に移る時の腰のひねりを、技芸天の何気ない仕草を参考にするようにと、楊名時先生がおっしゃられていたそうですが、なるほどなんともいえぬ自然で上品なお姿でありました。
歌舞音曲など芸能の神様と崇められる技芸天が身を潜めるように小さなお寺に安置されておられことにも、楊名時先生は感動なされたのではないでしょうか。折りしも御堂を後にする頃より春の小雨が降り始め、境内の白木蓮がなおいっそう白く浮かび上がっており、心に残る秋篠寺参拝でした。
曽根田 千恵子


楊麻紗先生との唐招提寺参拝
今年、平城遷都1300年祭の行事が4月から実施される奈良、楊麻紗先生は3月18日に唐招提寺にお参りされました。
楊麻紗先生は楊名時先生の志を継いでのお参り、娘さんの砂織さん・ディミトリーさんご夫婦をはじめ、われわれ養心会の同学の仲間、関東から、名古屋から、奈良から、大阪から、遠くは鹿児島から100名近くが唐招提寺山門内に午後1時20分に集まり、麻紗先生のお供で鑑真和上のお墓参りにご一緒させて頂きました。
10年を掛けた唐招提寺金堂の改修が昨年11月に終え、木の香が漂う新しくなった金堂、11年前に楊名時先生と同学の仲間が一緒に金堂と講堂の間で行なった演舞の場所で、今回楊麻紗先生の先導で皆さん気持ちよく演舞、ある方は裸足で演舞です。私は、楊名時先生の形見のシャツを着ての演舞、楊名時先生と一緒の演舞を感じながら行ないました。講堂脇一本の桜がちょうど満開でした。
その後、麻紗先生から楊名時先生がなぜ唐招提寺へ参拝するようになった由を伺いました。それは、天皇の要請で中国から日本へ仏教を伝えるために、鑑真和上が渡航を5度失敗し、6度目にようやく日本へ辿りついた時には、目が見えなくなっておりました。このような信念の強い和上を心の師として尊敬し、楊名時先生が京都大学時代から、唐招提寺へお参りされるようになったとのことです。
私は26年前から、楊名時先生ご一行と唐招提寺へお参りさせて頂いておりますが、楊名時先生が唐招提寺へお参りされた時、楊名時先生の思いが天に伝わり、雨で演舞が中止になったことは一度もありませんでした。今回は、午前中好天に恵まれ、午後には少し天気が悪くなってきましたが、麻紗先生の鑑真和上のお墓参りは雨にも遇いませんでした。これは、楊名時先生がわれわれを天国から見守って下さっていると思いました。
午後5時30分から楊麻紗先生をはじめ40名の方がホテルフジタに集まり、懇親会が開かれました。私は、以前NHKテレビ「プロフェッショナル」の番組で、世界のミシュランが認めた三ツ星料理人である82歳の小野二郎さんが、寿司職人として「現状不満足」との言葉に感動しました。われわれも楊名時太極拳で常に現状に満足することなく、楊名時太極拳の「技の太極拳」、「心の太極拳」の稽古を続け、上昇を目指していきたいとの挨拶を懇親会でさせて頂きました。
養心会の益々の発展と麻紗先生をはじめ参加者の皆さんの健康と幸せを願って乾杯の音頭、その後、名古屋・杉江満寿夫先生から「喜びのエンゼル」の写真とお話があり、美味しく食事をしながら各自の自己紹介で同学の皆さんと楽しい一時を過ごさせて頂き、感謝です。
真に楽しく素晴らしい一日でした。
健康太極拳 なにわ友の会
最高顧問 茶木康晴

師範審査レポートより(4)
お待たせいたしました。4回目の師範審査レポートをご紹介いたしますので、皆様の参考にしていただきたいと思います。
今日の方は、愛知県在住でお料理の先生です。「太極拳をやってよかったこと」を書いております。
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太極拳は今や日々の暮らしの中に在り、生涯を貫くものとして、心の拠所となっています。
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自ら癒し、心身の調和が図れるようになりました。気の流れを感じるなど、潜在能力がほんの少し開発されたような気がいたします。
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己のよろこびを越えて、共に生きるよろこびに発展したこと。
気がつけば10年の歳月が流れ、太極拳の大きさとと深さに感謝、師に感謝、仲間に感謝、心身の健康に感謝、明日につながる今日に感謝、新たな出会いに感謝しています。
(佐藤 朱実 67歳)


おめでとうございます
2010年1月24日、東京の石井明子師範は平成21年度「NHK全国俳句大会」に於いて、鷹羽狩行の特選にえらばれ表彰されました。鷹羽狩行氏は俳人協会の会長を務めております。
全国の5万近い投句の中から特選にえらばれたことは大変名誉なことで、心からお喜び申し上げます。大会の模様はNHK教育テレビで、2月24日に放映されました。
石井明子師範は楊麻紗先生のお弟子さんで、麻紗先生の俳句に惹かれてこの道に入られたそうです。太極拳暦は25年のベテランです。
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特選句
甘茶仏まこと小さく立ち給ふ


五禽戯の演舞 竹内彰一教室の皆さん
2010年新春懇親会
去る2月11日(木)、養心会の『2010年新春懇親会』が、グランドプリンスホテル赤坂で開かれました。建国記念日のこの日は曇りの寒い日でありましたが、帯津良一先生・金澤弘和先生をはじめ各地からたくさんの仲間が集まり、大変盛会でした。
祝辞の中で帯津先生が「人は生来悲しみを背負っており、その悲しみの深いほど人を癒す力になる」と述べられ、金澤弘和先生は、50年前の万里の長城で楊名時先生と空手の型を行なった時のエピソードを話して下さいました。楊麻紗先生は「梅の花言葉ような高潔な志を持った人になろう」と話され、乾杯の音頭をとって下さった下村のぶ子海竜社長は、今朝夢を見た楊名時先生のお話をして下さいました。
ホテルの食事は大変美味しく、出席者の舌を満足させるもので、大変好評でした。続いての余興も注目に値しました。紅型の衣装が鮮やかな琉球舞踊に始まり、歌曲・詩吟・太極拳経のパフォマンスあり、そして最後は五禽戯。気功の原点である華陀の五禽戯は楊麻紗先生の要望ででした。皆様から大変参考になったと喜ばれました。
今回の懇親会は、より一層気場が高まっているのを実感できました。参加者の皆様に感謝。ホテル側のご配慮に感謝いたします。ありがとうございました。
養心会事務局


梅が咲き初めました
立春から続いた厳しい寒さが緩み、今日の東京は3月上旬の陽気となりました。あちらこちらで梅が咲き初めました。梅のこの時期になると、楊名時先生は必ず私たちに次の句を紹介してくださいました。
梅 花 耐 風 雪
到 時 放 雅 香
梅の花は風雪に耐えて、時期が来れば雅香を放つという意味ですが、人も太極拳も人生の苦しみや稽古の積み重ねがなければ、成長や成果が得られないことを諭しています。
梅は中国の国花であり、2500年前に栽培化され、日本へは奈良時代に遣唐使が薬用として持ち帰ったのが、始まりだそうです。
春、百花に先んじて咲くため「春告草」の別名があり、花言葉は「高潔」。楊名時先生は梅が大好きで、晩年庭に梅を植え花と香を楽しんでおられました。
楊 麻紗

90歳の年賀状
今年もたくさんの年賀状を頂きました。ありがたいことです。その中からI.A.さんの年賀状を紹介いたします。この方は90歳の男性で、元気に太極拳の指導を行なっております。
楊 麻紗



太鼓の音と共に始まる新春稽古
2010年新春初稽古
1月5日(火)、「2010年新春初稽古」のこの日も、楊名時先生が私達のために穏やかに晴れ上がった新春の青空を用意してくださいました。
楊家養心太極拳の、いまや恒例となった東京武道館での新春初稽古に、「新年の計はここにあり」と各地から集った大勢の同心の皆様は、明るい笑顔で再会とお互いの健康を喜び合いました。
恒例の太鼓の音で始まった初稽古は全員での八段錦、心を一つにした二十四式と続き、みないっそうリラックスして太極拳健康美人となりました。
楊麻紗先生のご講話は、東京湯島聖堂孔子廟での年初の素読会で、楊名時先生がよく語っておられた論語の一節「罷めんと欲すれども能わず」の出典に偶然に再会したというお話でした。
孔子の教えは、何千年の歴史の中で受け継がれてきた、人として持っていなければならないことで、楊先生もそれを一番大事に説いておられました。
楊名時先生を始祖として仰ぎ見つつ、太極拳24の型を通して心を磨き、教養を深め、その深めた目で世の中を見れば深い真実が見え、礼(けじめ)をもった友との接し方の中に仲良くすれば、争いはないでしょう。
楊名時先生は、「太極拳は止めようとしても止められないのだよ、つまり10年やればもう止めようと思っても止められない。太極拳は中毒になってよろしい。そうならないと本物にならない」とおっしゃっていたそうです。
この境地にすでに達した方々も、少し感じ始めた方々も、太極拳を始められたばかりの方々も、太極拳ができる幸せをそれぞれに感じながら、楊家養心太極拳が孔子廟の庭にある楷(かい)の大木のように樹勢正しく太い幹となれるように、ことし一年また稽古を続けていきたいとの思いを共にいたしました。
(牧野智子記)


常滑合宿交流大会
前日の激しい雨が上がり、好天に恵まれた11月14日(土)、愛知県常滑市のサザンアリーナ体育館で、「09年楊家養心太極拳常滑合宿交流大会」が開かれました。
常滑での交流会は3回目となり、各地から年々参加者が増え今回は総勢170人を超える盛況でした。
楊名時先生の大好きな言葉「本日は晴天なり、晴天なり」の大合唱に始まり、楊麻紗先生の演舞、参加グループによる演舞披露、更に昇段審査も行われ、4時間がまたたく間に過ぎてしまいました。
今回強く感じたことは、技の向上だけでなく精神的な深まりでした。魂の共鳴が生まれ、楊名時太極拳の気の世界が具現化されたように思います。
夜の懇親会は一転して爆笑の渦。全員が心の底からうち解け、喜び合いました。「喜びの精霊」が写真にいっぱい写っていたそうです。
翌朝の海浜公園での太極拳も印象的。朝日と海の気を全身に浴びながら、気持ちよく稽古できました。二日間晴天にして下さった楊名時先生、参加して下さった皆様、心より感謝致します。
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手袋をして早朝の太極拳
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焼物の町を巡りし菊日和
楊 麻紗

師範審査レポートより(3)
久しぶりに師範審査レポートをご紹介いたしますので、皆様の参考にしていただきたいと思います。
養心会のレポートのテーマは三つありますが、その中の一つ「太極拳をやって良かったこと」は、受験者一人ひとりの入会動機、人生観、医療効果などの貴重な体験が記されております。今回ご紹介する方は、都内で開業している内科医です。
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一番よかったこと - 心にこだわりがなく、自由になった。細かいことにとらわれず全体を見通し俯瞰が出来る感じ。人へのまなざし暖かく(温かく)なったと思う。
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身体が柔軟に、持久力、力のバランスとコントロールできるようになった。そのため腰痛も取れた。(予防も可能)
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健康になった。疲れにくく、抵抗力も増した。何より身体の声に耳を傾けられるので、異変への対処は早くなった。
(N.Y.さん 67歳 女性)


新潟太極拳交流大会
去る10月24日、新潟阿賀野市の笹神体育館で楊麻紗先生をお迎えして「第二回新潟太極拳交流大会」が開かれました。大勢の仲間が集まり、東京からも10名が楊麻紗先生に同行し、地元の仲間との交流をはかりました。今回は名古屋から杉江満寿夫師範が参加してくださり、「幸せの精霊」の話を写真を見せながら説明して下さいました。皆さん感心して聞いておりました。
全体稽古、昇段審査、グループ別の演舞を行い、楊麻紗の特別指導では、「八段錦の各動作ごとに足を寄せないこと」の意義を詳しく説明して下さり、目から鱗が落ちたと大好評でした。
翌日は早朝から晴天でした。三千羽の白鳥が飛来している瓢湖湖畔での早朝太極拳の気持ちがよかったこと。まさに自然との一体感です。加藤博子師範、坂詰一年さんのご厚意で、五頭山へ紅葉を見に行きました。新潟の大きな山河と、太極拳の仲間の絆の深さに触れた一日でした。新潟の皆さん、ありがとうございました。
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会場は刈田の中の体育館
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白鳥の湖辺の早朝太極拳
楊 麻紗


能舞台の太極拳演舞
去る9月14日、大阪の西村能舞台で太極拳の演舞をいたしました。楊名時先生は伊勢神宮の能舞台、奈良公会堂の能舞台で太極拳を演舞されておりますが、私は初めての体験でした。能舞台は総桧作りで、能は元来神事ですので、裸足で舞台に上がることは禁じられているのですが、西村信子師範の特別の計いで、裸足で演舞させて頂きました。
足裏から伝わる桧の柔らかい感触と、桧の清らかな香りが私の心を洗い、幽玄の世界に導かれる感じでした。特に緊張はしていなかったのですが、当日は肩の状態が悪く思うように太極拳が舞えません。百華拳を舞い常滑の方々に気功治療をやって頂いた後、無事に太極拳を舞うことができホッといたしました。
演舞の後、杉江満寿夫師範のカメラに「精霊」がしっかりと写っており、驚くとともに嬉しくなりました。まるで私の手の先で共に太極拳を舞っているような、戯れているような感じです。楊名時先生が先導してくださったのに違いありません。
私の能舞台の貴重な体験は、楊名時先生に感謝。西村能舞台に感謝。そして応援して下さった皆様に感謝 感謝でした。
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錦秋に舞ふや先師を憶ひつつ
楊 麻紗


シルクロードの旅 木村鎮夫さん撮影
シルクロードの旅
8月の末にシルクロードへ旅して参りました。ウルムチからトルファン、敦煌、玉門関、陽関、嘉峪関を経て西安に至る所謂天山北路の略半分3000Kmです。
三蔵法師が滞留した高昌国の古城跡や莫高窟、鳴沙山等あちこちを巡りましたが、ここでは西域の人々の暮らしぶりについてご報告したいと存じます。
ゴビ砂漠の中のオアシスの生活環境は、夏は毎日40度を越える気温に加え今年になってから1回も雨が降っていないとのことで、学校の授業も長い長い昼休みを挟んで夕方6時に開始され、夜は満点の星空の下でお庭や路上に寝台を持ち出して寝むという生活をしていました。
そんな環境ですので、当地では太極拳どころではありませんでしたが、西安に戻ると朝の太極拳に勤しむ人々の姿を見かけ、何かほっとすると同時に改めて中国の広さを感じてきた次第です。
皆様も機会を見つけて、是非お出かけください。
2009年9月
木村鎮夫
2009年10月4日、新しい写真を追加






第4回健康太極拳交流会
9月13日に、なにわ友の会(会長 高橋保)主催の「健康太極拳交流会」が開かれました。今年は第4回目で、大阪をはじめ奈良、常滑、東京の仲間が集まり、大変有意義な大会となりました。
翌日は西村邸の能舞台で、師範審査と楊麻紗先生の演舞が行われ、西村信子さんの妹さんによるお祝いの謡曲が、花を添えました。
最後に、出席者全員が能舞台に上がらせて頂き、貴重な体験も致しました。
(詳しい報告を、後日当ページで行います)
事務局より


楊名時先生のエピソード(19)
道着の帯
楊名時先生は「道着は稽古着であると同時に、最高の舞台衣装」とよく言われておりました。能舞台で太極拳を舞われた楊先生の道着姿は、凛とした気高さを感じさせます。白の道着に黒帯が、全身を引き締め安定感を与えます。
楊名時先生の稽古中の帯は、空手の恩師・故中山正敏先生から贈られたものが一番のお気に入り。50年近く締め込まれたその帯は、ほつれて糸状になっており、両端に刺繍された名前の文字は読むことができません。
因みに楊名時先生から贈られた私の帯は、「楊家太極拳師家楊名時」「渋谷麻紗恵存」と刺繍されており、40数年この帯を愛用しております。帯を見れば太極拳の稽古量が、一目瞭然です。
楊 麻紗


会員の作品より
笠原初恵師範よりパッチワークの見事な作品が届きましたので、ご紹介いたします。新潟・新発田市大栄町の「平成21年度いきいき作品展」に出品されたものです。テーマは源氏物語で、髪の毛や琴の弦など緻密さがよく現れております。大変好評だったそうです。


楊名時先生のエピソード(18)
旅にも道着持参
楊名時先生は道着が大好きでした。楊名時太極拳の正式なユニホームは道着ですが、楊名時先生が特に日本の空手を愛好されたことに由来します。手足の長い楊名時先生は、誰よりも道着の似合う方でした。
楊名時先生は太極拳の指導のかたわら、大学で中国語を教える教育者でもありました。お気に入りのハンティングワールドの大きなカバンの中に、いつも教科書と道着を入れておりました。授業の終わった後、午後か夜に太極拳の稽古があるからです。太極拳の教室が増えるにつれて、埼玉の東松山にある大学から、神奈川の横浜、そして東京の自宅に帰るということが、週の内で2,3回ありました。早朝家を出て帰るのは夜中です。このサイクルは、70歳の定年まで続き、「元気だな~」といつも感心しておりました。
道着はプライベートな旅行にも持ち歩きました。「重いので持って行かなくても」と私が言うと、「旅先で太極拳の稽古をするし、寝間着にもなり便利だよ。何よりも道着はボクの武士の魂・刀だよ!」とニコニコと答えるのでした。おだやかな笑顔の中に、武道人の強い芯を感じました。
楊 麻紗


学校からの感謝状
大阪の茶木康晴師範が今年も、熊取町立東小学校の依頼で「なかよしタイム」で健康太極拳体験教室を開き、学校長と生徒代表からのお礼及び「なかよしタイム」新聞を頂きました。それをご紹介いたします。
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健康太極拳は、元々中国で発達した武道門であり健康門であり、今年も生徒達に、太極拳の武道的な動きと、健康太極拳の技・形だけでなく、心の太極拳をテーマに、健康太極拳は「礼で始まり、礼で終わる」、礼儀を大切に、仲間を大切にする思いを伝えたつもりです。
又、子供たちは朝食を食べない子はよくキレるらしいのですが、参加して頂いた生徒達全員、早寝・早起・朝食を食べ、正しい身心を育てるスポーツ等を行い、仲間と一緒に身体を鍛え勉強している、素晴らしい生徒さんで将来は安心しました。
学校及び先生方の益々の発展と、子供達が元気で育つことを願い、今回も、子供達に教えられることがあり、感謝です。
茶木康晴


旧盆に入りました。楊名時先生が亡くなられて、まる4年が過ぎました。2005年の初秋に、愛知県の村田勝治さんより「楊名時先生の追悼絵てがみ」を頂きました。村田勝治さんは筋肉の萎縮する病にかかっており、筆が使えず箸の先で字を書いたため、ところどころ墨が滲んでおります。2007年に村田勝治さんも亡くなられたそうです。おやさしい方でした。楊名時先生と村田さんを偲び、その絵てがみを紹介いたします。
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天国の楊名時先生
あまりに衝撃的なお知らせでした。今年の4月愛知県支部の総会で、お目にかかれ握手をして下さり、「治るからね」と私の震える手を握って下さった先生のあったかな手。去年の秋の先生の八十歳のお祝いを兼ねての合宿でも、握手をしながらそう言って下さった。
そう信じることが心の持ちようで、病の半分は治ると思います。人様のトップに立たれる方の持つ大きな心で、相手を包みこまれる力と行動力をいつも示しておられた。「本日は晴天なり」と少し照れながら話し始められる先生のお姿。眼をつぶればすぐに先生にお会いできます。
どうか安らかにお眠り下さい。私も病の治った姿で天国の先生とお目にかかれますように、リハビリに励みます。合掌
2005年初秋 村田勝治


楊名時先生のエピソード(17)
胸に涼風を
私たちは自然の中に生きています。特に日本は四季の変化に恵まれています。そんな日本が大好きな楊名時先生は、太極拳の夏の稽古の仕方を、「胸に涼風を」と表現しています。
太極拳の動きの中で涼やかに見せるためは、足の運びを上品にすることが大切ですが、胸に涼風とは目に見えない内面やイメージを言ったものです。
例えばいつもの教室を白樺の林、または湖畔に置き換えそこで太極拳を舞っているとイメージするのです。そうすると不思議なことに、脳が反応して体が涼しく感じるのです。
そして一番大切なのは、心の涼しさ。自我を捨て、拘わらない心で太極拳を舞えば、おのずと内面に涼風が吹きわたります。
楊 麻紗


楊名時先生を偲ぶ太極拳交流大会
貴重な梅雨の好天を賜わった6月27日(土)、河野太通ご老師をお迎えして、「楊名時先生を偲ぶ太極拳交流大会」が開かれました。会場となった東京京橋区民館には、昨年をはるかに越える仲間が集まり、盛会でした。
昨年9月1日に設立したNPO法人太極拳養心会の総会も兼ねて行われ、会場に掲げられた真新しい横断幕が一際鮮やかです。
全体稽古の後、河野太通ご老師のご講話は、心に強く響きました。孔子の生きた時代背景、オーヘンリーの小説『賢者の贈り物』、現代の学生のアンケートを通じて、“人の幸福とは何か”を語って下さいました。その答えはお互いに相手を思いやる心、これが最も大切だと語られました。
楊麻紗先生が挨拶で述べられた「仁義」は、楊名時先生が力説されていた言葉であったと聞き、河野太通ご老師と共通テーマでありました。人は人を思いやる心を生まれながらにして持っています。しかし、この心を持ち続けるのは難しい。楊名時太極拳を稽古することは、人を思いやる心に立ち返ること。その繰り返しが大切だとご講話を結ばれました。
河野太通ご老師のご講話のあとの団体演舞は、人を思いやる心が具現化され、えもいわれぬ温かく静かな気が漂っておりました。NPO法人太極拳養心会のこれからの発展が確信され、充実感溢れる「楊名時先生を偲ぶ太極拳交流大会」でした。楊名時先生も喜んでおられることでしょう。皆様、ありがとうございました。
事務局


楊名時先生のエピソード(16)
共存共栄
楊名時先生が「養心会」を作りたいと考えたのは、亡くなる5、6年前だと思います。この構想は私だけでなく、何人かの古い仲間にも話されておりました。
組織が大きくなるにつれ、楊名時先生の求めていた太極拳とは少し違って来たのでしょうか。淋しい表情で養心会のことを何度も私に話すようになりました。
ある時、私は「養心会を作ることは、今ある組織の分裂ではないにですか?」と尋ねましたら、即座に「お前は小さい。分裂ではなく発展ではないか!一つの組織で全てができる訳がない。一つが三つになり、三つが五つなる。これは自然の理である。十や二十あっては困るが、五つぐらいの組織があってそれぞれが特徴を生かして、楊名時太極拳を普及させていくのがよい。そうしなければ大きな発展はない。“共に生存し、共に繁栄する”ことが大切なんだよ」と。
楊名時先生はやはり中国人!度量の大きさが違うと感心し、納得したことを今でも強烈におぼえております。
楊 麻紗


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